札幌のシンボルとして親しまれている札幌時計台。
正式名称は「旧札幌農学校演武場」といい、その名の通り、かつては札幌農学校の学生たちが集う中央講堂として使われていました。
札幌農学校は、現在の北海道大学の前身であり、北海道開拓を担う人材を育成するために1876年に開校されました。その2年後、クラーク博士の提言により建設されたのが、この演武場です。
演武場では、兵式訓練や入学式・卒業式などの重要な行事を行なっていました。また、1階部分は研究室や講義室としても利用されていたのです。
その後、札幌農学校は1903年に現在の北海道大学がある場所に移転。演武場は当時の札幌区に買い取られ、1906年には道路整備のために現在地に移築されました。
明治
11年(1878年) 10月16日札幌農学校演武場として時計台完成。
12年(1879年) 札幌本庁が焼失による1月20日時計台が仮本庁舎として事務取扱いを開始。
14年(1881年) 7月新しい時計塔を作り、ハワード社の時計機会を設置する。
25年(1892年) 5月4日大火の発生により、学生は演武場の類焼を防ぐため屋根に上がって消火に務める。この火事で裁判所が焼失、翌年12月まで演武場を裁判所として使用する。
36年(1903年) 7月28日札幌農学校の新校舎が現在の北海道大学の位置に完成。演武場とその敷地の一部は札幌区に貸与され、公会堂として使用された。
39年(1906年) 札幌区に移管となり現在地に移転する。
40年(1907年) 5月10日札幌に大火が発生し郵便局が焼失、演武場が仮郵便局及び電信局に使用される。
44年(1911年) 北海道教育委員会が事務所及び図書館として使用する。
大正
7年(1918年) 北海道教育会が解散し、図書館は札幌区教育会に引き継がれる。
13年(1924年) 一部改修、東階段室を付設する。
15年(1926年) 札幌市は時計台に付随する敷地約千余坪5万円で取得する。
昭和
8年(1933年) 6月から8月大修理が行われる。井上清氏時計機械保守奉仕を開始。
18年(1943年) 2月北部軍公用施設(人事課及び通信隊)として使用される。
20年(1945年) 8月北海道商工会議所及び各種企業団体が事務所として使用する。
25年(1950年) 5月11日市立札幌図書館となる。
36年(1961年) 6月7日札幌市文化財第1号として指定する。
42年(1967年) 9月から12月予算1400万円余で演武場の復原工事を行う。
43年(1968年) 札幌市創建100年を記念し2階に資料室を開設する。
45年(1970年) 6月17日国指定重要文化財に指定される。
51年(1976年) 7月から10月修復工事を行い、屋根の部分修理などを行う。12月18日札幌歴史館として2階展示室を開設。
53年(1978年) 1月25日1階展示室を設置し、札幌歴史観として全館オープンする。時計台創建100年を祝い、100年記念事業を実施する。
平成
7年(1995年) 1月から屋根葺替え、外壁塗装修理、トイレ棟・敷地整備等を行う時計台保存修理事業(全体事業費6億円)に着手する。
8年(1996年) 7月1日環境庁、「日本の音風景百選」に認定される。
10年(1998年) 9月30日に45か月間の保存修理事業(耐震補強工事を含む。)を修了。10月1日時計台オープンとともに、時計台創建120年記念事業が行われる。